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戦国最強の城『大阪城』、難攻不落といわれる理由を徹底解説!

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大阪城の歴史シリーズ。

今回は戦国時代、
大阪城がどうして難攻不落と
言われていたのかについて
歴史に詳しい方に
お伺いしてみました。
 
 
【今回の内容】

  • 戦国最強といわれる城
  •  

  • 大坂城が戦国最強の城といわれる理由
  •  

  • なぜ戦国最強の大坂城は破れたのか?
 
 
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戦国最強といわれる城

 

戦国時代に難攻不落と言われる
最強の城が全国各地にあり、
名前を知られていました。

上杉謙信や武田信玄から守りぬいた
北条家の『小田原城』、
10倍以上の敵でも落ちなかった
毛利家の『吉田郡山城』、
西郷隆盛の侵攻にも耐えた
加藤清正の『熊本城』など、
数々の名城とそこで攻防戦が
行なわれてきました。

なかには実戦はありませんでしたが
世界遺産となった『姫路城』なども
難攻不落として知られています。

では、このような名城の中でも
戦国最強の城はどの城か?

 

筆者は豊臣秀吉の築いた
『大坂城』が戦国最強の城であると
考えています。

なぜ大坂城が戦国最強の城なのか、
ひとつひとつ解説していきます。
 

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大坂城が戦国最強の城といわれる理由

 

①三方を川で囲まれた天然の要塞

難攻不落の城といわる城の
ほとんどは天然の要塞とも
いわれる城です。

例えば、
『小田原城』や『吉田郡山城』なども
これにあたります。

三方を川に囲まれた大坂城では、
攻め入るためには
南方の平野部しかありません。

敵の兵も
この南の1点に絞られるため
非常に守りやすくなるのです。

 

②城攻めの名手『豊臣秀吉』による築城

豊臣秀吉といえば、
城攻めの名手ともいわれています。

攻めるのが得意ということは、
城の弱点を知り尽くしていた
ということもいえます。

その秀吉により15年間にも及び
改修が何度も加えられた大坂城は
弱点が見つからないともいえる
名城なんです。

さらには一番重要な
城の縄張りについては、
築城の名手とも言われた
『黒田官兵衛』によって
行なわれています。

 

③実際の戦で徳川家康率いる全国の猛者を跳ね返している。

大坂城が戦国最強の城といわれる
最も重要な点は、
1614年の『大坂冬の陣』にて
徳川幕府が全国から集めた
選りすぐりの20万もの大群を相手に、
講和まで持ちこんだ点があります。

天下の名城ともいわれた
『小田原城』でも、
20万もの軍勢の前では
降伏をしています。

天下の大軍を相手に
『降伏(負け)』ではなく、
実質勝ちにも等しい
『講和(引き分け)』に
持ちこんだことが
戦国最強の城といえるでしょう。
 
 

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なぜ戦国最強の大坂城は破れたのか?

 

戦国最強ともいわれた
大坂城であっても
徳川軍の2度目の侵攻による
『大坂夏の陣』では、
なすすべなく徳川軍に
破れてしまいます。

では、なぜ戦国最強の城が
破れさってしまったのでしょう?

 

大坂城の防衛設備は壊されていた

1回目の徳川家康の侵攻である
『大坂冬の陣』にて
講和を結んだといいましたが、
この時にとんでもない条件を
豊臣側が飲んでしまいます。

なんと『大坂城の堀の埋め立て』、
『二の丸、三の丸などの破壊』などが
約束されてしまったのです。

この約束をもって
大坂城の最強の防備は
全て壊されてしまい、
大坂城は遠くからでも
全貌が確認できる文字通り
丸裸の城となってしまいます。

当然、城には敵から身を守る術はなく、
2回目の徳川家康の侵攻である
『大坂夏の陣』では
豊臣軍は城外に打って出ますが、
奮闘むなしく
戦国最強の大坂城は
落城することとなるのです。

 

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まとめ


城攻めを得意とする豊臣秀吉による築城。
 
 

地形を利用した天然の要塞。
 
 

徳川家康が率いる猛者達の大群相手に、興和へ持ち込んだ。
 
 

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最後まで読んでいただいて
ありがとうございます。
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