大阪城

大阪城の発掘調査の情報まとめ


今回は大阪城の歴史シリーズ。

現代で発見され続ける、
大坂城の石垣などの発掘調査。

いままでにどのような
発掘調査の結果が
公表されているのかを
まとめてみました。
 
 
【今回の内容】

  • 大坂冬の陣で埋められた400年前の石垣
  •  

  • 400年振りに秀頼公の頭蓋骨が発掘された?
  •  

  • 豊臣時代の石垣 公開プロジェクト
 
 
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大坂冬の陣で埋められた400年前の石垣

 
豊臣氏の終わりとなる大坂の陣、その1戦目となる冬の陣で大坂城の堀が埋められたというのは有名な話でしょう。

その後の大坂城は石垣を細かく砕くほどに破壊され、徳川幕府による再建築が行なわれました。

そのため、豊臣時代の大坂城の跡地は未だに地面に埋まったままになっています。

さらには、都市開発によって当時の城郭の上にはビルが建ち並んでいるため、いまだに城郭の正確な場所ははっきりとしていません。

しかし、ビルや施設の立替をする際のボーリング調査にて、豊臣時代の堀や石垣などが複数回に渡って発掘されています。

都市開発によって遺跡となった堀や石垣が、また都市開発によって発見されるというのも面白いですね!

見つかった遺跡を少しずつ繋ぎ合わせて、当時の様子が少しずつ鮮明になっていくのです。

ただ残念なのは、施設の建設予定で発見されるため、調査が終わったあとでまたビルや施設の下に眠ってしまうのは残念に思います。
 

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400年振りに秀頼公の頭蓋骨が発掘された?

 
1980年、大阪追手門学院の立替工事にて発掘調査もあわせて行なったところ、頭蓋骨が見つかりました。

その頭骨の年代はかなり古く、豊臣時代の大坂城の敷地内にあったため、大坂の陣にて亡くなった者と思われていました。

詳しく調べると、歯の状態からみて年は20~25歳の若者で、当時には珍しく栄養が行き届き歯の手入れも行なっていたことから名のある武士に違いないと推測されていました。

さらに、埋葬のされ方も丁寧であり近くには、当時には珍しいアラブの大型の馬が一緒に埋葬されていました。

以上のことから、この頭蓋骨は『20代前半の高貴な男性で、珍しい大きな馬を持ち、それに乗れるだけの体格をしていた』ということが分かります。

当時にこのような人物は一人しか見当たらず、それは『豊臣秀頼』ではないかといえるわけです。

 

秀頼公は享年21歳。当時には珍しく身長が180cmはあり、珍しい馬を持つだけの財力もあります。

この頭骨は秀頼公の物として、現在では京都市の『清凉寺』に埋葬されています。
 
 

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豊臣時代の石垣 公開プロジェクト

 
先述したとおり、大坂城は既に都市化しているため、ビルや施設の下に埋蔵されてしまっています。

そのため、建て替えにより遺跡が発掘されていても、わずか2~3日の一般公開を持って再び埋め戻されてしまい、上にはビルや施設が建ち並ぶこととなります。

「見たい!」と思ったからといって見れるわけではないんですよね。

 

ですが、現在進行中のあるプロジェクトがあります!

それは『大坂城豊臣石垣公開プロジェクト』というイベントで、現在募金を集めている段階で、公開は2019年頃を予定としています。

早く当時の石垣のようすなどを確認したいものですね!
 

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まとめ


豊臣時代の大阪城の堀や石垣が複数回、発掘されている。
 
 

1980年に頭蓋骨が発掘されていて、豊臣秀頼ではないかと言われている。
 
 

大坂城豊臣石垣公開プロジェクトが2019年を予定に進行している。
 
 

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